新宮市のご紹介
新宮市周辺の周辺情報をお届けします。
新宮市の人口
人口 : 28,629人 男 : 13,288人 女 : 15,341人 世帯数 : 14,921世帯。
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新宮市は、和歌山県、奈良県及び三重県の県境が接する紀伊半島の東南部に位置して太平洋に面し、温暖で高湿多雨な気候風土により豊かな水資源と樹木育成に恵まれたすばらしい自然環境の中にあります。
歴史的に古くは、神武天皇東征のコースにあって、日本書紀などには熊野神邑(くまのかむのむら)とよばれ、熊野信仰の中心都市として栄え、中世には、熊野参詣の門前町として熊野三大社のひとつ熊野速玉大社の門前町として発展し、明治以降は、熊野材の生産地、製紙業や製材業で繁栄した歴史を持ち、今日まで熊野地方の行政、経済、文化、教育の中心都市として発展をしてきました。 世界遺産登録された「紀伊山地の霊場と参詣道」の熊野古道「大雲取越え」「小雲取越え」「高野坂」や川の参詣道「熊野川」など、熊野の海や山や川の織りなす豊かな大自然があり、文化面では、佐藤春夫や中上健次、東くめ、西村伊作などの多くの文化人を輩出し、また、秦の始皇帝の命を受け不老不死の霊薬を求めて熊野に渡来した徐福伝説による中国や台湾をはじめとした多種多様な異文化との交流なども活発に行われています。
熊野文化と豊かな自然を活かし、「時代に調和する人を育み、自然と調和するまちづくり」を基本理念とし、地域の活性化を図るとともに、時代の潮流に対応した快適な都市づくりをめざし、古今東西の全ての人と文化が集い、交流し、賑わいを見せる、まち全体が華やいだ都市づくりに努めているところであります。 新宮市は、JR東海とJR西日本の分岐点に位置し、名古屋へは特急で3時間10分位、新大阪へは3時間30分でアクセスしています。
また国道は、海岸線に沿って国道42号が浜松市と和歌山市を結び、紀伊半島を縦貫する国道168号、国道169号は、京阪神とを結ぶ起点の都市でもあります。
熊野速玉大社
有名な観光スポット
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熊野速玉大社は、熊野三山のひとつとして全国に祀る数千社の熊野神社の総本宮です。今から約二千年ほど前の景行天皇五十八年の御世に、熊野三所権現が最初に降臨せられた元宮である神倉山から現在の鎮座地にお遷りになり、これより神倉神社の『旧宮』に対して『新宮』と号したと古書にみえます。 御祭神は、熊野速玉大神(いざなぎのみこと)・熊野夫須美大神(いざなみのみこと)を主神に、十二柱の神々を祀り上げ新宮十二社大権現として全国から崇敬を集めています。
特に、孝謙天皇の御世、日本第一大霊験所の勅額を賜り、熊野三山の中でも逸早く『熊野権現』の称号を賜りました。「権現」とは仮に現われるの意味で、神様は御殿の中のもっとも清浄な奥処に鎮まりましますので、私達の目にはそのお姿を直接見ることができません。そこでそのお姿を仮に仏に変えて、我々の住む俗世界に現われるという考え方が浸透していきます。
奈良朝末期にいたって、熊野速玉大神は衆生の苦しみ、病気を癒す薬師如来として過去世の救済を、またお妃の熊野夫須美大神は現世利益を授ける千手観音菩薩、家津美御子大神は来世浄土へ導く阿弥陀如来として位置づけられ、山伏や熊野比丘尼によって熊野権現信仰は飛躍的な拡がりを見せ、全国に数千に及ぶ御分社が祀られるにいたりました。
さらに、中世熊野信仰の興隆にともない、皇室、公卿、武士中心から庶民信仰へと発展し、過去世救済、現世利益、来世加護を説く三熊野詣こそ、滅罪・甦りへの道であるとして、「蟻の熊野詣」の諺のごとく熊野街道は賑わったのです。
那智勝浦町のご紹介
那智勝浦町の人口
人口 : 18,462人 世帯数 : 8,497世帯 (H19.4.1現在)
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那智勝浦町は、那智山の門前まち那智町と、温泉と漁業のまち勝浦町、さらに宇久井村・色川村の4ヵ町村が合併し、昭和30年4月に誕生いたしました。その後昭和35年1月に下里町、太田村が加わり現在の姿となっています。紀伊半島の南東端に位置し、気候温暖にして、風光明媚、雄大な自然に恵まれ暖かさ、豊かさ、厚い人情が溢れる町です。
・姉妹都市 : アメリカ・カリフォルニア州・モントレーパーク市
・友好都市 : 長野県 木曽郡 上松町
・日本一 : ・那智の瀧(直下133m)
・富士山の見える最遠の地(322.6㎞)
・まぐろ延縄漁法による生マグロの水揚げ
・世界測地系の日本における基準原点「下里水路観測所」(日本にひとつ)
・日本一短い川(法定河川)「ぶつぶつ川」(13.5m)
・和歌山一 : 温泉泉源数 175本(町所有8本)[県下総本数468本]
・観光 : 観光客数 宿泊客924,253人 日帰客 833,108人(平成18年)
・温泉旅館、ホテル、民宿など : 54施設 7,081人収容可能
熊野那智大社
有名な観光スポット
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熊野那智大社社伝に「神武天皇が熊野灘から那智の海岸“にしきうら”に御上陸されたとき、那智の山に光が輝くのをみて、この大瀧をさぐり当てられ、神としておまつりになり、その御守護のもとは、八咫烏の導きによって無事大和へお入りになった」と記録されております。 命の根源である水が豊富にあふれ落ちる「那智大瀧」を、この熊野に住む原住民の人々も神武天皇御東征以前からすでに神として奉祀されていたとも伝えられていますが、いずれにいたしましても古代からこの大瀧を「神」としてあがめ、そこに国づくりの神である「大巳貴命」(大国主命)をまつり、また、親神さまである「夫須美神」(伊弉冉尊)をおまつりしていたのであります。
その社殿を、お瀧からほど近く、しかも見晴しのよい現在の社地にお移ししたのは仁徳天皇五年(三一七年)と伝えられています。この時、大瀧を「別宮飛瀧大神」とし、新しい社殿には「夫須美大神」を中心に、国づくりに御縁の深い十二柱の神々をおまつりしました。やがて仏教が伝来し、役小角を始租とする修験道がおこり、古来の神々と仏とを併せてまつる、いわゆる神仏習合の信仰が行なわれるようになりました。
その後、「蟻の熊野詣」といわれる程に全国から沢山の人々が熊野を目指すことになるのですが、中でも、皇室の尊崇厚く、延喜七年(九〇七年)十月、宇多上皇の御幸をはじめとして、後白河法皇は三十四回、後鳥羽上皇は二十九回もご参詣の旅を重ねられ、また花山法皇は千日(三年間)の瀧籠りをなされたと記録されております。
なお「熊野」という地名は「隈の処」という語源から発しているといわれていますが、だとすれば、ここは奥深い処、神秘の漂う処ということになります。また「クマ」は「カミ」と同じ語で、「神の野」に通じる地名ということにもなります。
その「神の里」に詣で、漂う霊気にひたり、神々の恵みを得ようとして、古代から多くの人々が熊野へ、そして那智山へ参詣されています。
紀宝町のご紹介
紀宝町の人口
人口 : 12,557人 世帯数 : 5,439世帯
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紀宝町は、平成18年1月10日に旧紀宝町と旧鵜殿村の町村合併により誕生しました。「海・山・川の恵みに抱かれ、ともに輝き創造するまち」を新町の将来像とし、新たなまちづくりを進めています。
紀宝町は、紀伊半島の南東部に位置し、三重県の南玄関となっています。東は七里御浜で熊野灘に面し、北は御浜町、西を熊野市、南は熊野川を隔てて和歌山県新宮市と接しています
そのため、東紀州地域関係市町との広域行政に取り組んでいますが、歴史・文化的背景から和歌山県との関係も深く、新宮市などとの県域を越えた連携・交流も盛んです。
また、和歌山県との県境には熊野川が流れ、この流域や七里御浜、奈良県、和歌山県との一部にかけては「吉野熊野国立公園」になっています。
この地域は、平成16年7月に、「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録され、町内では、「七里御浜」、「熊野川」、「御船島」の3ヶ所が世界遺産に登録されています。
町の面積は79.66k㎡で、北西部には紀伊山地からつながる山塊が広く分布し、南東部には住宅地や商業地をはじめ、港湾を活用した製紙工場や製材工場などが立地しています。
また、町の中央部には、北西部の山々に源を発し熊野川に注ぐ相野谷川が流れています。 東部の神内川・井田川を含むこれら河川の流域では、平地には水田が開け、丘陵地にはみかん畑が広がっています。
熊野市のご紹介
熊野市の人口
人口 : 20,667人 世帯数 : 10,104世帯 (平成20年11月1日現在)
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平成17年11月1日に熊野市、紀和町が合併し、新『熊野市』が誕生しました。
熊野市は、三重県南部に位置し、北西部は、標高500メートルを超える山々が縦横に連なり、奈良県および尾鷲市に接し、東南部は黒潮おどる熊野灘に面してリアス式海岸と白砂青松の変化に富んだ景観に恵まれています。また南西部は和歌山県、奈良県と接しています。
産業は、温暖多雨な気候と市の面積の87パーセントが山林という地形から、木材生産地として知られ、農業では、温暖な気候に育まれたみかんの栽培が盛んで、この地域の特産品となっています。また天然の良港と漁場に恵まれ、定置網漁業や敷網漁業なども盛んです。
山の自然では、平成16年7月7日に「紀伊山地の霊場と参詣道」として、本市の歴史文化遺産である松本峠や大吹峠などの熊野古道が世界遺産に登録されました。豊富な湯量が自慢の湯ノ口温泉、先人の米作りに対する意志を後世に繋ぐ丸山千枚田、北山川からなる紀伊半島随一を誇る渓谷美の瀞峡をはじめとする、美しい水が流れる川など自然の宝庫です。また、柱状節理の景勝地としても有名な楯ヶ崎、無数の洞窟が階段状に並んだ奇岩奇勝で知られる鬼ヶ城、美しい砂浜と透き通った遠浅の海が自慢の新鹿・大泊海水浴場など海の自然も満ち溢れています。
これらの自然をより多くの人々に体験していただけるよう「豊かな自然と歴史に育まれた、活力と潤いのあるまち・熊野」として、交流を促進していきます。